“仏陀の言葉”を訳してみた その27

ไม่ว่าจะเกิดอะไรขึ้นในชีวิตเรา
私たちの人生で何が起こっても、

ท่องไว้เลยว่าเดี๋ยวมันก็ผ่านไป
それらはいずれ過ぎ去ると、心に刻め。

ไม่มีสิ่งไหนหรอกที่มาแล้วไม่ผ่านไป
永遠なもの、過ぎ去らないものは無い、

ไม่ว่าความสุขหรือความทุกข์
幸、不幸にかかわらず。

ท่อง ˈthɔ̂ŋ memorize 記憶する
ผ่านไป ˈphàan ˈpay pass by 過ぎ去る
ความทุกข์ ˈkhwaam ˈthúk sadness 悲しみ

なんだか方丈記の ”行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。” を思い出しました。鴨長明の方丈記の成立は鎌倉時代。「徒然草」「枕草子」と共に「日本三大随筆」といわれます。著者の鴨長明が生きていた間には大地震、天候不順による飢饉、大火などがあり、変化の多い時代だったようです。約800年前の作品ですが、無情の普遍性は時間を超えて心に響きます。

上座部仏教のお説教で繰り返し”執着”が戒められるのは、いずれ過ぎ去り無くなってしまうものに執着し、今に集中しないのは限られた人生の時間を無駄にしてしまうという合理性からでしょうか? 他の宗教の多くは信仰すれば死後永遠の幸福が得られると説くのに対し、上座部仏教では永遠なものはないから現実を直視せよと諭します。仏教は宗教ではないと言われるのもなんとなくわかるような気がします。