“仏陀の言葉”を訳してみた その24

เราคนเดียว เที่ยวรัก เที่ยวโกรธ จะไปโทษใคร
ˈraw ˈkhon ˈdiaw ˈthîawˈrák ˈthîawˈkròot
自身が、 愛に戸惑い 怒りに戸惑う時、誰を責めればいいのか?

แก้อะไรใครได้ ก็ไม่เท่าแก้ใจตน เพียงคนเดียว
ˈkɛ̂ɛ ʔà ˈray ˈkhray ˈkɔ̂ɔ ˈmây ˈthâw ˈkɛ̂ɛ ˈcay ˈton ˈphiaŋ ˈkhon ˈdiaw
誰が(傷ついた)自身の心を癒してくれるというのか? (できるのは)自分だけだ。

-หลวงปู่สุวัจน์ สุวโจ-

このお説教の เที่ยว は、”旅行に行く”という意味ではなく、”疑い”や”戸惑い”の意味合いです。
何か怒りを感じることを他人にされたとき、他人を責めても解決しない。自分自身でしか自分の傷ついた心を癒やせない。という事らしいです。

教えてくれたタイ語の先生と「確かにそうだけど、実際は難しいよね〜。」で意見は一致しました。