เราคนเดียว เที่ยวรัก เที่ยวโกรธ จะไปโทษใคร
ˈraw ˈkhon ˈdiaw ˈthîawˈrák ˈthîawˈkròot
自身が、 愛に戸惑い 怒りに戸惑う時、誰を責めればいいのか?
แก้อะไรใครได้ ก็ไม่เท่าแก้ใจตน เพียงคนเดียว
ˈkɛ̂ɛ ʔà ˈray ˈkhray ˈkɔ̂ɔ ˈmây ˈthâw ˈkɛ̂ɛ ˈcay ˈton ˈphiaŋ ˈkhon ˈdiaw
誰が(傷ついた)自身の心を癒してくれるというのか? (できるのは)自分だけだ。
-หลวงปู่สุวัจน์ สุวโจ-
このお説教の เที่ยว は、”旅行に行く”という意味ではなく、”疑い”や”戸惑い”の意味合いです。
何か怒りを感じることを他人にされたとき、他人を責めても解決しない。自分自身でしか自分の傷ついた心を癒やせない。という事らしいです。
教えてくれたタイ語の先生と「確かにそうだけど、実際は難しいよね〜。」で意見は一致しました。