仏陀の言葉を訳してみた その3

仏陀の言葉 、#ธรรมะ ˈtham ˈmá, Dharma, タイ語の勉強に訳してますが、単語は知ってるのに意味が理解できません。
タイ語が理解できる人なら読んで心が洗われると思うのですが、私は意味がわからず、ありがたいはずの仏の言葉でストレスが溜まりました。

反省!

เรา สร้าง ความดี กับ ใคร
ˈraw ˈsâaŋ ˈkhwaam ˈdii ˈkàp ˈkhray
われわれは徳を誰かと築くのか、

เรา ก็ ดีใจ ถึง เขา ไม่ รู้
ˈraw ˈkɔ̂ɔ ˈdii ˈcay ˈthʉ̌ŋ ˈkhǎw ˈmây ˈrúu
誰に知られなくとも、我々は善たり得る。

เรา ก็ *ในทำนองเดียวกัน การทำความชั่ว
ˈraw ˈkɔ̂ɔ ˈnay ˈtham ˈnɔɔŋ ˈdiaw ˈkan ˈkaan ˈtham ˈkhwaam ˈchûa
同様に悪行も、

ถึง เขา ไม่รู้ เรา ก็ รู้
ˈthʉ̌ŋ ˈkhǎw ˈmây ˈrúu ˈraw ˈkɔ̂ɔ ˈrúu
誰に知られなくとも、我々は分かっている。

หลวงพ่อ จรัญ ฐิตธัมโม

* ในทำนองเดียวกัน ˈnay ˈtham ˈnɔɔŋ ˈdiaw ˈkan, in the same manner 同様に

オンラインレッスンの先生に解説してもらったところによると、他人が知っているかどうかに関わらず、自分自身が善行をつめば自分が善人だと自身は分かっているし、同様に悪行をすれば、他人には分からなくとも自分自身が悪人だとわかる。自分自身の在り方が重要で、他人は関係ないという事らしいです。
個人的な感想ですが、タイ人が他人に寛容(ある意味無関心)だったり、意外と個人主義的だったりするのも上座部仏教の影響かもしれません。

いつかタイ語がストレスなく理解できるようになったら、仏陀の言葉を心に善行したいと思います。いつかわかりませんが。