“仏陀の言葉”を訳してみた その7

自分にとって、タイ語は日常単語ほど難しいです。

辞書には書かれていない隠れた意味(ความหมายแฝง ˈkhwaam ˈmǎay ˈfɛ̌ɛŋ connotation)があったり、他の単語と結合( เชื่อม ˈchʉ̂am conjunction)して熟語になっていたりするケースが多いです。
タイ語は英語と違って単語間のスペースがないので、慣れないとどこまでが一単語なのかといった些細な事に悩みます。
Google 翻訳でもNHKのニュース記事は翻訳精度が高いのに、日常タイ語の翻訳が恐ろしくキテレツなのは、外国語としてのタイ語学習者にとっても日常タイ語が難しいのと、共通の理由ではないかと思っています。

仏陀の教え(ธรรมะ ˈthamˈmá Dharma ) はタイ日常単語に触れる良い教材と個人的に思っているので読んでみるんですが、毎回理解できなくて殆ど謎解きと化しています。タイ人に説明してもらわないと理解が難しいです。
お坊さんが、一般庶民に仏教の教えを伝える言葉なので、タイ語ネイティブにとっては平坦な言葉のはずですが、タイ語が外国語の自分にとっては難解。言語はもちろんですが、宗教、文化的な背景も知らないと理解がむずかしいです。

โลก สอน ให้ เรา รู้จัก คน มากมาย
ˈlôok ˈsɔ̌ɔn ˈhây ˈraw ˈrúu ˈcàk ˈkhon ˈmâak ˈmaay
世間は私たちににいろんな人について教えてくれる。

แต่ ไม่มี ใคร สอน ให้ เรา รู้จัก ตัวเอง ว่า ตกลง มนุษย์ หนึ่ง คน ที่ ชื่อ ว่า “ตัวเอง” มี คุณค่า อะไร บ้าง
ˈtɛ̀ɛ ˈmây ˈmii ˈkhray ˈsɔ̌ɔn ˈhây ˈraw ˈrúu ˈcàk ˈtua ˈʔeeŋ ˈwâa ˈtòk ˈloŋ má ˈnút ˈnʉ̀ŋ ˈkhon ˈthîi ˈchʉ̂ʉ ˈwâa ”ˈtua ˈʔeeŋ” ˈmii ˈkhun ˈkhâa ʔà ˈray ˈbâaŋ
しかし、誰も私たちに”自分自身”という人間が、一人の人間としてどんな価値があるか、自分自身について教えてはくれない。

タイの仏教は基本 ”自分自身 ตัวเอง ” なのね。