จาก “สยาม” มาเป็น “ไทย” แล้วทำไม “ไทย” จึงต้องมี “ย”:
”シャム”から”タイ”へ”タイ(ไทย)”になぜ “ย”がついているのか?
なぜタイ王国は“ไทย”と綴るのか? 1 of 2:
ピブーンソンクラーム元帥が“สยาม”を “ไทย” に変更しなければならなかったもう一つの重要な理由(เหตุผลสำคัญ)は、もしシャムという名称を保持した場合、後に他民族(ชนชาติอื่น)の移住(อพยพเข้ามา)が増加(มากขึ้น)し、”シャム”は彼らの国だと主張される可能性に対する恐れ(เกรง)の為だった。
しかしながら(อย่างไรก็ดี)、ピブーンソンクラーム元帥の発言(คำแถลง)は、タイ人(ชนชาติไทย)の“ไทย”という単語に“ย” がなぜ必要なのか理由について彼は言及(บอกถึง)していない。
文献(บทความ)に現れている(ปรากฏ)根拠(สาเหตุ)の手がかり(เบาะแสอัน)は、
”タイの歴史について(เนื่องด้วยประวัติศาสตร์ชาติไทย )”において、
元芸術局長(อธิบดีกรมศิลปากร)のソンポブ・ピロム(สมภพ ภิรมย์)は、
国会で“ย”を持つ“ไทย”の支持者(ผู้ที่สนับ)が投票(การลงมติ)で64対57票(คะแนนเสียง 64 ต่อ 57)で勝ち、勝者(ผู้ชนะ)になり、“サイアム”の代わりに、国名として”タイ”という言葉を使用する議論に同意する前に、
”ยが付いているไทยは髪をセットして(ดัดคลื่น)、リップを塗って(แต้มลิปสติค)、眉を描いた(เขียนคิ้ว)女性のようなものですが、
ยを持たないタイは装飾されていないが(แต่ไม่ได้ตกแต่ง)自然なままで美しい(งามโดยธรรมชาติ)女性のようなものです。” と述べた。
スパープサトリー誌(น.ส.พ. สุภาพบุรุษ) 1939年9月30日(タイの歴史書シリーズから) 「第二次世界大戦中のタイ(เมืองไทยสมัยสงครามโลกครั้งที่ 2)」、プライスク・ヌーノン(แถมสุข นุ่มนนท์)著、33ページ より。
そのような理由(เหตุผลดังกล่าว) にソンポブは”タイ(ไท)またはタイ(ไทย)」という言葉の使用について話す前に、”戸惑い(รู้สึกงง)と笑いを禁じ得ない、ただ受け流すしかない。” そして、”言語学(ภาษาศาสตร์ )の原則(หลัก)によるべきだ、
人民代表院(สภาผู้แทนราษฎร)の投票(การออกเสียง)ではなく、言語学と語源(นิรุกติศาสตร์ )の原則による学術的(ทางวิชาการ)結論(ตัดสินตกลงใจ)に準ずるべき。”と語った。
国名変更(การเปลี่ยนชื่อประเทศ )後(ภายหลัง) 、タイ王立学会(ราชบัณฑิตยสถาน)は1950年タイ王立研究所の辞書(พจนานุกรมฉบับราชบัณฑิตยสถาน)に”タイ(ไท)”と”タイ(ไทย)”の言葉の意味を制定した(บัญญัติ)。
“タイ(ไทย)” は、一つは”指導者(ผู้เป็นใหญ่)”という意味を持ち、さらに国名と”東南アジア(เอเชียตะวันออกเฉียงใต้)の民族(ชนชาติ)、独立(ความมีอิสระในตัว)、非奴隷(ความไม่เป็นทาส)” の意味を持つ。
王立学会の制定した意味は、一般の人々(คนทั่วไป)がよく使うタイ(ไทย)という言葉よりも、むしろ非奴隷や自由(การมีอิสรภาพ)という意味を持つ”タイ(ไท)”という言葉に対する感覚に反している(ขัดกับความรู้สึก)ようです。
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タイ王立学会のタイ国語辞書:
この記事、結局のところなぜタイ(ไทย)に”ย”がついているのか明確な理由は書かれていないよw
ちなみに”ย”一文字を音読するときは、コーカイ(ก ไก่)と同じように ヨーヤック:ยอ ยักษ์ yor yák(鬼の”ย”)と発音するようです。日本語だと” アヒルの”あ” ”みたいな感じでしょうか。
子供向けコーカイの歌:
でもこの動画の歌、ネイティブだから歌えるんですね…私には難しいわ!