ความถูกไม่ค่อยเป็นครูหรอก
正しさはよい先生ではない
เป็นบ้างเหมือนกันแต่น้อย
時に同程度だが、劣る
ไอ้ความผิดนั่นน่ะมันเป็นครู
間違いこそが先生だ。
เพราะมันเจ็บปวด เพราะมันทำให้เข็ดหลาบ
なぜなら痛い目にあうし、恐れを生じさせてくれる。
– พุทธทาสภิกขุ –
タイ語にはผิดเป็นครูと言う表現があるそうです。日本語だと反面教師でしょうか?
自分の訳が良くないので、かなり理解しづらいのですが、人間は実際に間違いを起こし、その結果からくる痛みを実感することで、より多くを学ぶという事らしいです。