”私は親の家に住んでいる”をタイ語でいうと ดิฉันอยู่ที่บ้านของพ่อแม่ ですが、辞書で”住む”を調べると、 อาศัยอยู่ ˈʔaa ˈsǎy ˈyùu も出てきます。
では、อาศัยอยู่ ˈʔaa ˈsǎy ˈyùu を使って同じ文章を作ると、ดิฉันอาศัยอยู่ที่บ้านของพ่อแม่ になりますが、この文章だとタイ人的には受ける印象が少し異なるようです。
ดิฉันอยู่ที่บ้านของพ่อแม่ だと単に両親と一緒に住んでいるですが、
ดิฉันอาศัยอยู่ที่บ้านของพ่อแม่ だと、自活できない私が両親の家に居候させてもらっているという印象を受けるらしい。
ちなみにタイでは自活できなくて、お寺に身を寄せている状態を อาศัยวัดอยู่ ˈʔaa ˈsǎy ˈwátˈyùu 寺に世話になっている と表現するんだとか。これらの人は、お坊さんが托鉢をするときに後ろからついて行って、施しを受けるらしい。でも、出家中のお坊さんの家族が一緒に托鉢に同行し、施しを受けることもあるので、一見でこの人はお坊さんの家族とか、お寺に居候している人、とか知らない人にはわからないんだとか。
タイ語教室の先生の説明によると、タイではお金の持ち合わせがなくても、他の人の寄進から寺で葬式を挙げられるそうです。 行政の手が行き届かないところをお寺が担っているんですね。自分が困ったとき、相談したいときに頼りになるのがお坊さんなら、喜んで寄進したいし、地域の困った人を助けるところを見れば自然に尊敬の念も生まれると思うのですが、日本ではどうなんでしょう?