タイ語教室でタイ人先生が小学1年生の時に使っていた教科書を学習しています。
最初は音読、次に内容確認していきます。
知っている簡単な単語しかないのに内容が唐突で理解に苦しむ文章も多いです。
例えば、
มานะพูดกับวีระว่า “สวนนี้ของใครวีระ”
วีระ “ของลุงบ้านก็ของลุง ฉันอยู่กับลุง”
ปิติ “แล้วพ่อกับแม่ของเธออยู่ที่ไหน”
วีระ “ไม่รู้ซี ฉันอยู่กับลุงมานานนานแล้ว”
มานะ “ลุงไม่เล่าให้ เธอฟังหรือว่า พ่อแม่ของเธออยู่ไหน”
วีระ “ไม่มีใครเล่า”
ปิติ “เธอรักลุงไหมวีระ”
簡単な単語を使った文章ですが、小学生向けの教科書という前提なので、その内容に ? えええ?!です。
มานะพูดกับวีระว่า “สวนนี้ของใครวีระ”
→ マナはウィラに”この広場は誰のなの?ウィラ”と話しました。
วีระ “ของลุงบ้านก็ของลุง ฉันอยู่กับลุง”
→ ウィラ “おじさんのだよ。家もおじさんのもの。 ボクはおじさんと暮らしているんだ。”
ปิติ “แล้วพ่อกับแม่ของเธออยู่ที่ไหน”
→ ピティ “じゃあキミのお父さんとお母さんはどこにいるの?”
วีระ “ไม่รู้ซี ฉันอยู่กับลุงมานานนานแล้ว”
→ “知らないよお。 ボクはおじさんと一緒に暮らしてもう長いんだ。”
มานะ “ลุงไม่เล่าให้ เธอฟังหรือว่า พ่อแม่ของเธออยู่ไหน”
→ マナ “おじさんはあなたにあなたの両親がどこにいるか語って聞かせてくれないの?”
วีระ “ไม่มีใครเล่า”
→ ウィラ “誰も語ってくれないんだ。”
ปิติ “เธอรักลุงไหมวีระ”
→ ピティ “ウィラ、キミはおじさんを愛してるの?”
??? 小学一年生向けの”教科書”の内容にしてはずいぶんと不可解です。
ウィラのご両親どうされたんでしょうか? 人によってはこの”おじさん”なる人に広場に埋められてしまったのでは?と想像する人もいるかもしれません。
もはや教科書を超えてミステリー小説です。ピティの “ウィラ、キミはおじさんを愛してるの?”もどういう意味で聞いたのでしょうか? ホップ・ステップ・ジャンプならぬ ホップ・ジャーンプ!的流れ、かなり無理矢理です。
でもさすがタイ人先生、教室がザワつく中このような不可解かつ不条理な文章もさらっと受け流します。「そうですねえ、両親は死んだのかもしれませんねえ…。」
内容が衝撃すぎてタイ語が入ってこないよ!