東日本大震災から10年。
タイでもこの日のニュースが一般誌で報じられました。その中から、マティション紙の記事を読んでみました。
東日本大震災10周年のタイ新聞記事
จักรพรรดินารูฮิโตะร่วมรำลึก 10 ปี สึนามิถล่มญี่ปุ่น:
徳仁天皇は日本の津波10年を追悼
タイ新聞記事の拙訳
徳仁天皇( จักรพรรดินารูฮิโตะ) は、日本を襲った(ถล่ม)津波(สึนามิ)の10周年追悼(รำลึก)に。
マグニチュード(แมกนิจูด)9.0の地震(แผ่นดินไหว)と日本の北東海岸を襲った津波による福島原子力発電所(โรงไฟฟ้านิวเคลียร์ฟุคุชิมะ)から放射性物質(กัมมันตภาพรังสี)が漏出(การรั่วไหล)、日本の自然災害(ภัยพิบัติทางธรรมชาติ)の最悪の1つ(ครั้งเลวร้ายที่สุดครั้งหนึ่ง)として数えられるこの出来事(เหตุการณ์)。
その結果(ส่งผล)、約18,500名(ราว18,500 ราย)が死亡あるいは行方不明になり(สูญหาย)ました。
全国の日本人(ชาวญี่ปุ่นทั่วประเทศ)は、10年前と同じ時間の(เวลาเดียวกัน)現地時間の(ตามเวลาท้องถิ่น )3月11日の午後2時26分に津波で亡くなった人々(ผู้เสียชีวิตจากเหตุการณ์สึนามิ)を1分間追悼した(สงบนิ่งไว้อาลัยให้)と AFP通信社(สำนักข่าวเอเอฟพี)は 報じました。
東京都(กรุงโตเกียว)の国立劇場(โรงละครแห่งชาติ)東日本大震災10周年追悼式(พิธีรำลึก)に出席された日本の徳仁天皇は、その出来事(เหตุการณ์ดังกล่าวว่า)について
「忘れることのできない(ลืมไม่ลง)悲劇(โศกนาฏกรรม)であり、多くの被災者が、想像を絶する(ความสูญเสียมากมายเกินจะจินตนาการ)損失(ความสูญเสียมากมาย)を受けながらも、共に助け合いながら(การช่วยเหลือซึ่งกันและกัน)、幾多の困難を乗り越えてきました(สามารถก้าวข้ามความยากลำบาก)。」 と述べられた(ตรัสถึง)。
日本の菅義偉首相(นายกรัฐมนตรีโยชิฮิเดะ สึกะ)は、「生存者(ผู้รอดชีวิต)はCOVID-19の感染拡大(การแพร่ระบาดของโควิด-19)と2011年の地震の余震(อาฟเตอร์ช็อก)である先般の大きな地震(แผ่นดินไหวขนาดใหญ่)を含む、自然災害 の両方に直面(เผชิญ)しています。 しかしながら、日本は勇気(ความกล้าหาญ)と希望(ความหวัง)をもってあらゆる危機(ทุกวิกฤต)を乗り越えて(ก้าวข้าม)まいりました。」と語った。
さらに、公的(ภาครัฐ)および民間(ภาคเอกชน)の追悼行事(การจัดงานรำลึก)が全国で(ในทั่วประเทศ)開催され、 地元の人々が犠牲者の墓(หลุมศพ)を訪れ、 お祈り(สวดมนต์)し、故人を偲ぶお花を供え(วางดอกไม้เพื่อระลึกถึงผู้ที่จากไป)たりしました。
東日本大震災は英語とタイ語で
東日本大震災は
英語で、
the 2011 Tōhoku earthquake and tsunamiタイ語で、
แผ่นดินไหวและคลื่นสึนามิในโทโฮกุ พ.ศ. 2554
pàen din wăi láe klêun sèu-naa-mí nai toh hoh gù pho soo sŏng-pan-hâa-rói-hâa-sìp-sèe
と言います。
津波と地震はタイ語で
津波 สึนามิ sèu-naa-mí
地震 แผ่นดินไหว pàen din wăi
もう10年、まだ10年…感じ方は人それぞれですが、貴重な経験を風化させずに災害対策に生かしてほしいです。
タイは地震はないイメージですが、北部の方はたまーにあるようです。
地震はタイ語で: